http://anotraks.bandcamp.com/album/subterraneans-v-a
60年代アメリカのポップス・ロック、70年代のAOR、R&Bを通過し生まれたシティ・ポップは
今再び見直されようとしている。
2010年、アニマル・コレクティヴ、Wavves(ウェイヴス)、ザ・ドラムスらが
矢継ぎ早にサーフ・ロックを下敷きにしたアルバムを発表し、
米インディーにおいてサーフ・ロック再評価の流れが生まれたのは記憶に新しい。
そして、その流れはチルウェイヴに回収され、
ネオン・インディアン、トロ・イ・モアやウォッシュト・アウトといったアーティストたちは
アニマル・コレクティヴやパンダ・ベアが行った方法論に則って作品を作り出していった。
その後、チルウェイヴのアーティスト達はサンプリングの限界に突き当たり、
自分たちで作品を作り出していったわけだが、そこで表出するのが80年代というタームである。
当初からチルウェイヴに80年代の影響は色濃くあったわけだが、
自ら楽器を演奏することによってその傾向はより一層加速した。
ネオン・インディアン、トロ・イ・モアの歩みもまさにこの流れと言える。
(ネオン・インディアンのDeadbeat SummerからPolish Girlの流れは特に印象的だ)
そして、その流れを追いながらも、まったく意外な形で生まれたのがヴェイパーウェイヴだ。
ネオン・インディアンのように宅録からバンド形態に容易に移ることのできない人々は、
80年代、そして90年代のインターネットカルチャーを一つの旗印に、
他人の曲を剽窃し、その様々な要素が混在した空間を表現することによって、
新たな潮流を生み出すことに成功した。
80年代、そして90年代初期――日本において、これは丁度シティ・ポップが全盛であった時期だ。
大瀧詠一、山下達郎は言うまでもなく、
オメガトライブ、杉真理といった狭義のシティ・ポップのアーティストが活躍したのもこの頃だ。
言うまでもなく、インターネットの発達によって海外との時間的なギャップは増々薄れている。
サーフ・ポップ、チルウェイヴといったジャンルはほぼ同時にここ日本でも受け入れられた。
ヴェイパーウェイヴにしてもVentlaの諸作からも分かるように、
その影響を受けて曲を作るスパンは短くなっている。
つまり、「Subterraneans V.A.」を筆頭としたシティ・ポップ再興の兆しは
チルウェイヴ、ヴェイパーウェイヴに対する日本からの共時的な回答なのではないか。
60年代のサーフポップ、70年代のAOR、そして80年代のテクノ・ポップ再評価の流れが
ここ日本ではシティ・ポップというジャンルの音楽に極めて近い形で表出したのではないか。
その点、「シティ・ポップ」とタグ付けされた、
この「Subterraneans V.A.」は極めて「今らしい」アルバムだ。
マンタ・レイ・バレエ、失敗しない生き方、にげたひつじ、Friendly Spoon、Layla、
Ayuzaki Ami、鎌倉克行、そしてso nice、Basil、森は生きている、
これだけ素晴らしいアーティストたちの作品に今まで触れてこなかったのかと思うと、
歯がゆい思いがすると同時に、今回彼らの作品に触れられたことへの嬉しさも沸き立つ。
シティ・ポップあり、ダブあり、渋谷系あり、アイドル歌謡あり、ヴェイパー的な要素ありと、
参加するアーティストの数だけ曲調の幅も広いが、
各々が良質なポップ・ソングを志向しているという点で
このアルバムには不思議な統一感がある。
そして、これだけ良質な曲々が一枚のアルバムに見事に集約されていることに
驚嘆の念を感じずにはいられない。
それだけ、このアルバムは聴きやすく、気持ちの良いアルバムだ。
しかしながら、これだけ鮮やかな作品を聴いていると
そもそもシティ・ポップとは何だったのか、とシティ・ポップの意味が霧散していきそうになるが、
シティ・ポップという記号が「地下街の人々」の声を届ける切実な「街」になり得るなら、
その街に入り混んでしまえばいいと私は思うのだ。
住めば都の風が吹くのだから……。
自ら楽器を演奏することによってその傾向はより一層加速した。
ネオン・インディアン、トロ・イ・モアの歩みもまさにこの流れと言える。
(ネオン・インディアンのDeadbeat SummerからPolish Girlの流れは特に印象的だ)
そして、その流れを追いながらも、まったく意外な形で生まれたのがヴェイパーウェイヴだ。
ネオン・インディアンのように宅録からバンド形態に容易に移ることのできない人々は、
80年代、そして90年代のインターネットカルチャーを一つの旗印に、
他人の曲を剽窃し、その様々な要素が混在した空間を表現することによって、
新たな潮流を生み出すことに成功した。
80年代、そして90年代初期――日本において、これは丁度シティ・ポップが全盛であった時期だ。
大瀧詠一、山下達郎は言うまでもなく、
オメガトライブ、杉真理といった狭義のシティ・ポップのアーティストが活躍したのもこの頃だ。
言うまでもなく、インターネットの発達によって海外との時間的なギャップは増々薄れている。
サーフ・ポップ、チルウェイヴといったジャンルはほぼ同時にここ日本でも受け入れられた。
ヴェイパーウェイヴにしてもVentlaの諸作からも分かるように、
その影響を受けて曲を作るスパンは短くなっている。
つまり、「Subterraneans V.A.」を筆頭としたシティ・ポップ再興の兆しは
チルウェイヴ、ヴェイパーウェイヴに対する日本からの共時的な回答なのではないか。
60年代のサーフポップ、70年代のAOR、そして80年代のテクノ・ポップ再評価の流れが
ここ日本ではシティ・ポップというジャンルの音楽に極めて近い形で表出したのではないか。
その点、「シティ・ポップ」とタグ付けされた、
この「Subterraneans V.A.」は極めて「今らしい」アルバムだ。
マンタ・レイ・バレエ、失敗しない生き方、にげたひつじ、Friendly Spoon、Layla、
Ayuzaki Ami、鎌倉克行、そしてso nice、Basil、森は生きている、
これだけ素晴らしいアーティストたちの作品に今まで触れてこなかったのかと思うと、
歯がゆい思いがすると同時に、今回彼らの作品に触れられたことへの嬉しさも沸き立つ。
シティ・ポップあり、ダブあり、渋谷系あり、アイドル歌謡あり、ヴェイパー的な要素ありと、
参加するアーティストの数だけ曲調の幅も広いが、
各々が良質なポップ・ソングを志向しているという点で
このアルバムには不思議な統一感がある。
そして、これだけ良質な曲々が一枚のアルバムに見事に集約されていることに
驚嘆の念を感じずにはいられない。
それだけ、このアルバムは聴きやすく、気持ちの良いアルバムだ。
しかしながら、これだけ鮮やかな作品を聴いていると
そもそもシティ・ポップとは何だったのか、とシティ・ポップの意味が霧散していきそうになるが、
シティ・ポップという記号が「地下街の人々」の声を届ける切実な「街」になり得るなら、
その街に入り混んでしまえばいいと私は思うのだ。
住めば都の風が吹くのだから……。